行って、見て、食べて、感じて来ました
さる7月4日、5日の2日間、福島県の農家の方のお話を伺いたくて、以前からの知り合いの
高橋良行さん(公益社団法人 日本農業法人協会 福島支部会長)のコーディネートで、
福島県の生産者3軒、直売所1軒をたずねてきました。
総括
目的は、あれから3年、今どうなっているのかという現状をうかがうためですが、
真の目的は「なぜ、風評被害はなくならないのか」を自分たちが真剣に考えるためでした。
だから、ちょっと行ったくらいで、現地の方のお役に立てるなんて、
そんな立派なことははなから考えにありませんでした。すみません・・・。
ただ、現地の方はそういう言葉をずいぶん浴びてきたのか、
そのフレーズには疲れている、というふうにも見受けられました。きれいごとじゃない現実。
ことは本当に大きい問題だということに、打ちひしがれて帰ってきた、というのが本音です。
それでも、会った方々皆さんが、多角的に事業を織り成していこうと
元気を作り出して動いているという実感を得られたことは救いでした。
「どこも女性のパワーを感じた。農家の女性は強いわね。それと後継ぎさん」とは参加者共通の感想です。
勝手を言えば、その強さと工夫は、必ず後世に何かあったときを生きる人々の役に立つ。
そして、今苦しんだ分だけたくさんの救いの手をその人たちに差し伸べられると信じています。
そのとき、私たち消費者は・・・。
これもまた、今、本気で考え、「忘れないように」しなくてはいけないことだと思います。
以下、具体的な報告です。
訪問と感想
1) 郡山市 ふるや農園
阿武隈山系の自然が美しい里山にあり、芽物(貝割れ大根等々)や
サンチェ、イチゴ、放牧豚など経営の多角化を計っているふるや農園は、
農業の6次産業化への取り組みが認められ、平成25年度地産地消優良活動で東北農政局長賞も受賞。
しかし、貝割れではO157問題、地震では原発事故、さらに豪雪被害と、
歩んできた道は決して平坦ではありませんでした。
対応してくださったのは静かな口調のご主人、降矢敏朗氏と快活な奥様のセツ子さん。
さまざまな問題への対処を聞かせていただくものの
「福島の風評被害では今も立ち直れていない」「こんなことで苦しむのは、私たちだけでいいんだ」とおっしゃる言葉の底に、「でも、なぜ私たちなの?」と思わないではいられないような憤りも感じられました。
外に出ると、里山の道を長く縁取るアジサイの群生。
この里山の自然を資源にたくさんの人に来てもらおうと、なんと自分たちで植えたそうです。
雑草を食べてくれる放牧豚の愛らしさにも心惹かれつつも、しっかりした歯ごたえが美味しいという
「ハム・ウインナーセット」を注文して帰ってきました。
2) 郡山市 鈴木農園
菌床なめこ、枝豆、カブ等生産を生産する鈴木農園。
原発事故のあと、危険といわれたのは自然界の山野に育つきのことのこと。
完全に室内で栽培している菌類こそ、風評被害の代表格。
未だ回復の兆しはないものの、生産は続行していました。
事故前から熱心に研究して作り上げてきたノウハウもむなしく、
前も後ろも分からず落ち込んでいたとき、
「一年くらい、給料我慢するから、続けようよ」といってくれた従業員たちの声に助けられて、
立ち上がったというお話は印象的でした。
品質の良さが分かってくれる市場に向けて、枝豆もカブも検査しながら出荷中していました。
育成場を案内され、赤ちゃんサイズから巨大サイズまである「なめこ」に感動していると、
「こんにちわー」と声をかけてくださったのが息子さん二人。
親しみやすい鈴木清代表に、明るくハキハキした奥様の鈴木孝子さんと
家族が力を合わせている姿は未来を感じさせました。
3) 伊達市 伊達水密園
ここはさくらんぼ・桃・りんご・あんぽ柿など果樹を生産している福島県北部の農家でした。
案内された桃畑では、葉の茂り方ひとつで、どの樹のどの枝の桃が美味しいかがわかるという
プロフェッショナルな説明に舌を巻きました。
父親であり、先代の社長であった佐藤浩信さんは、もともと長い間かけて味を作り上げ、
東京の高級果実店千疋屋やデパートに、毎年特急の品を収める果物作りのベテランでした。
しかし、事故後、贈答品の販売キャンセルが多発し、移転を検討。
伊那食品の協力のもと、父親(社長)は長野に移転し、果物苗を植栽。
全ての事業移転も考えたものの、結局、本社は福島に残し、長野は事業拡大の支社と位置づけ、
現在、福島は長男・次男が奮闘中でした。
現社長を務める長男の佑樹さんは、フェイスブックや一般通販を始め、キリンビールが支援する
絆プロジェクトで次世代の農業者としても活動を始めていました。
しかし、ここで聞いた
「あんぽ柿はもう1%しか戻らない。つまりなくなる、ということですよ。
贈答用の果物も、一度失ったデパートの指定位置は取り戻せない」と言う言葉は、
忘れられないほどショックでした。
あんぽ柿、もぐもぐの委員会で大好評だったのに・・・。
4) 郡山市 農産物直売所 ベレッシュ
スタートして5年という農産物直売所を訪ねました。
夕方でもあまり品切れにならないシステムを取っているため、活気がありました。
震災後、閉鎖する直売所もたくさんあるなか「ベレッシュ」が踏みとどまったのは、
自分たちが地元農家のためにできることは、ここを続けることだと思ったから。
震災直後は山形など近県から野菜を仕入れ、その後、近隣に人口が戻ってきたら
少しずつ県内産も扱うようになったそうです。
「それまであった定休日をほとんどんなくしたこともありますが、
2011、2012年と売り上げは下がらなかったんです。
おかげで賠償金がもらえませんでしたが、それは自分たちの誇りでもあるんです」と話すのは、
ベレッシュを父から継ぐ本部長の武田博之さん。
しかし、他県の人に「何を持って安全というの?」と聞かれ、
2012年に県の補助金で放射能の検査機を3台導入し、
シーズンごとに各農産物を、生産者なら持ち込んだものすべて無料で検査できる検査室を、
あえて直売所の入り口から見えるところに作ったそうです。
(写真。昼間は透明ガラスから中が見える)
「今年はまだ、竹の子と山菜は出荷規制がかかっていますから販売していません。
検査は毎日約30件。万が一、20ベクレル(学校給食もこれが基準)を超える数字が出たら
販売しませんし、50ベクレルを超えるものがあったら県に報告することになっています。」
私たちが食育団体と知り、
「食育、大事だと思ってるんです。
このあたりの旬とずれたものを他県から運んできて給食に出している学校など見ると、
子どもたちがかわいそうで。はやく地元の旬のものを安心して食べてもらいたい、
自分たちが生きていくこの地の農業を考えて行かないと」 と話してくれました。
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地元のものを食べながら、地元で生きていく。
当たり前のことだし、食育でもさんざん、この基本に立ち戻ろうと言ってきました。
でも、「大人はそれでいいけど、子どもには他県のものを」という親がいるのも事実。
何が本当かわからない、将来のことは誰も保証してくれない日々が続く中、
それでも自分たちが信じた道を歩もうとする前向きな姿や言葉にじかに触れることができた今回の訪問。
見えず、聞こえず、ただ漠然と心配だけしていた私たちは、
「福島県に遠い地域ほど、偏見の回復が遅い」
「同じもので他県産が並ぶと福島産は価格が叩かれる」という難しい現実も知ると同時に、
先を見越して動く若いエネルギーにほっと安心したのも事実です。
「田舎に親戚を持ったつもりで、生産現場から目を離さない」を心に留めて、
次回はもっといろんなお話ができるといいなあと思いました。
(報告:もぐもぐファーム協議会 事務局 松成容子)